利他より「おせっかい」の行動力
ザ・ノンフィクション
「おせっかい男とワケありな人々~あなたのお家探します~」
2月6日放送/14:00~14:55/フジテレビジョン ラダック
このコロナ禍で本当に困ったとき、国家も地方自治体も個人には何もしてくれていない。突如、自助だの共助だのと言われ、途方に暮れている人々はいまだ多数報道されている通りである。そこに来てロシアの軍事侵攻。他国のことと眺めてはいられない不安も多い。
感染症対策に話を戻せば「ここは利他的行動を」などと言われ、みんなで家にとどまり、ワクチンを打ち、電車の窓を開け、混雑を避けた。なおかつ「利他的行為」は社会の幸福を生み、いつか自分の利益となるから、実は最も利己的・合理的なのだという「利己的な利他主義」が思想界でも目立って取り上げられた。それは本当にそうなのだろうか。
利他は難しい。なぜなら「他」にとって何が「利」なのかが、その場では判断しにくいからだ。しかしこの番組の主人公、ほぼフリーとでもいうべき不動産屋氏は、次から次と誰かのために行動する。火事で焼け出され入院した生活保護者のために家を探す。のみならず不要品のテレビや家具や食器まで探してきてセットしておく。退院の面倒からその後の部屋の設備の世話までする。確かに自治体やソーシャルワーカーにはできないが、不動産屋だからできることだ。それを次々こなす。さらには視覚障害の方の住宅の世話、カーテンがけ、ついでに食事。ときどき訪問しては話し相手にも。曰く「ただ、おせっかいなんですよ」。
彼の部下となった女性が言う。「本当にその人のためなのかわからないのに」。そう、それが利他の難しさだ。しかし彼と活動するうちに「やりたいからやる」、「やれるからやる」、ただそれだけだと学ぶ。ふとやってみたことが、後になって感謝される。それだけで充分ではないかと。なぜならそれは自分ができることだし、自分しかできないことだから。それこそが「おせっかい」なのだ。そしておせっかいは楽しい。
おせっかいで、ほんの少し世界が良いほうに動く。その積み重ねが今この世の中を動かしていく本当の仕組みなんじゃないか。そんなおせっかいの意味と有り難みを、しみじみと考えさせてくれた。(兼高聖雄)